日本ヨーガ光麗会について

30年史

30年史

ヨーガ日本ヨーガ光麗会(以下、光麗会)はヨーガの祖師である佐保田鶴治博士を創始者としています。師の徹底した文献学的研究と番場一雄師のすぐれた音楽的感性の融合によって体系立てられた「雄弘(ゆうこう)ヨーガ」研修会を全国各地で主催しております。両師の出逢いから、現在に至る光麗会の歴史を振り返ってみます。

番場一雄師は1962年に佐保田鶴治師のもとでヨーガの研鑽を開始され、1970年~1972年頃に現在の光麗会の基礎となる佐保田鶴治師・牧康夫師・番場一雄師の三師のみによる特別な研究会が始まりました。佐保田師はヨーガによる智慧の光明を示すサンスクリット語のプラカーシャをとりあげ、人々を智慧の光明によって救済する意味としての「嚴淨光麗」を『無量壽経』より拠出し、この研究会を「光麗会」と称されました。インドの伝統にのっとり、師匠が弟子達に直接指導するという方法を採ったこの研究会は門外不出、30 年以上他に知らされることはありませんでした。

光麗会の特徴のひとつに、ヨーガの実修をただ個人の体験のみに頼るものではなく、学問的根拠をもってヨーガの体験が誤ったものではないことを確認することがあります。これは、三師によって確立されたもので、文献研究と実践主義という両輪を現在も継承しています。
初期の光麗会のひとりである牧康夫師は残念なことに1976年4月に51才で先立たれることとなりますが、残された二師によって、日本でのヨーガを確立するためにさらなる研鑽が続けられました。1975年4月には、ヨーガ研修会「心華寺ヨーガアシラム(現・雄弘ヨーガアシラム)」が開設され、これらの成果として、平河出版社より 1978年に佐保田鶴治師の序文による『ヨーガ~行法の段階的修練法~』(番場一雄著)が日本に於ける最初の行法解説書として出版されました。

1979年 4月に「全国大会(現・光麗祭 雄弘ヨーガの実践セミナー)」が第1回全国の雄弘ヨーガの集いとして発足し、現在に至るまで35回毎年行われてきました。その時期を前後して、京都、大阪、名古屋のヨーガ研修会が開設され、東京では港区増上寺境内の三康文化研究所にて佐保田鶴治師を中心とし、番場一雄師を専任講師とする「三水会」と称するヨーガ研修会が催されます。これが核となって1980(昭和55)年4月5日(土)、増上寺研修会が開催される運びとなりました。以来、佐保田鶴治師 (大阪大学名誉教授・文学博士・インド学)を特別講師として晩年に至るまでお招きし、専任講師に番場一雄師という講師陣で始まりました。

雄弘1981年12月には、佐保田鶴治師からヨーガの実践を極めた印として、番場一雄師に「瑜祗 雄弘」の称号が授与されました。「雄弘」とは「ヨーガの真理を雄大に弘め、人々を救済せよ」との意を含み、日本で唯一佐保田鶴治師によって与えられたヨーガ最高の称号であり、日本ヨーガ光麗会の雄弘ヨーガは佐保田鶴治師のもっとも正統なヨーガを表しています。

1982年には平河出版社から、より成熟させた行法指導書『ヨーガのすべて』(番場一雄著)が出版され、その後、1994年にはNHK出版より『ヨーガ- 写真でみる行法のすべて-』が出版され、雄弘ヨーガの基礎が次第に堅固なものとなってゆきます。

1986年9月11日には佐保田鶴治師が88才で逝去されますが、光麗会はご遺族の御理解と御協力のもと、祖師・佐保田鶴治師のひかれた「アカデミズム」「実践主義」を継承してまいりました。呼吸の波動と「気」の運行を大切にして老若男女を問わずに実践できる昇華したヨーガをお伝えし、さらに1999年には新たに「雄弘ヨーガ・セラピー」を提唱し、人々の救済への道は常に大きく深化・発展し続けています。

2003年に惜しくも番場一雄(初代瑜祗雄弘)師が急逝されますが、以降、会長が番場裕之(第二代目瑜祗雄弘)師にかわり、現在に至っています。最近では、佐保田鶴治師・牧康夫師・番場一雄師の三師の出逢いの意味に充分に感謝して、多くの方にヨーガの喜びを愛でる感性を養うことのできる「ゆらぎの波動」を大切にしております。

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