お知らせ

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4日間の「雄弘ヨーガ・イラン国際交流セミナー~沖縄の旅~」が閉会しました。
国内で行なったとはいえ、なかなか大きく意義深いものとなりました。

いっしょに寝食を共にして学んで、みんな仲良くなりました。
もちろん、全員が言葉で通じあえたわけではありませんが、それを超えたエネルギーを感じました。

イスラームというしっかりとした体制がある彼の地で日本発祥の雄弘ヨーガがしっかりと実践されている。『瑜伽経三十頌』を一緒に読誦し、普段と同じようにヨーガができました。そのことにとても感銘を受けました。

遠国のイランから仲間を連れてきてくださった鈴木悦子 中東方面特任講師には心から感謝いたします。次は日本の仲間とイランに訪れたい思いで一杯です。

今後もこうした雄弘ヨーガの国際交流をやっていきたいと思います。

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新年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいします。
光麗会年賀_ブログ用合成2018
年々振り返ってみるに、ヨーガの思想と実践に多くのご加護を感じるようになってきました。皆様は如何でしょうか。

今年みなさまに送った言葉は、「煩悩即菩提」。この題字は先代雄弘師によるものです。先代が事あるごとに使っていた言葉です。実は、佐保田鶴治祖師が先代に託した言葉でもあります。

これは直接的には「煩悩を断ずることなく涅槃を得る」という意味で、両者は相即不二の関係で用いられます。

迷い世界の根源とも言える煩悩の世界から厳しい修行を経て菩提の境地、つまり、悟りの世界を目指すのですが、この両者は別ものではない、ということです。また、この世的日常生活を完遂して行く中に、菩薩の道、悟りの世界が見えるということでしょう。

煩悩のもともとの意味は、私たちの心に迫って覆い被さるような苦悩や汚れをいいます。そうした煩悩に満ちた状態から解放されるべくヨーガの修行が説かれています。

煩悩が出発点で涅槃が終着点とする場合、涅槃の妨げとなってる煩悩を否定する仕方が、伝統的に「抑止したり制御する」、「取り除く、分離する」、「離れる超越する」の三つのパターンが示されています。

『ヨーガ・スートラ』の場合は、煩悩を含む「心の働きを止滅する最初のパターンで示されていることになります。

煩悩即菩提という場合にもいくつかの捉え方があるのですが、煩悩を認めつつもそれを否定するのではなく超越し、翻弄されない信頼に足る自分自身を創り上げることだといえるでしょう。

「たとえ苦しいことが多々あっても、この世的責任から目を背けることなくきちんと果たしながら、煩悩、苦悩を超越していきなさい」と教えられる言葉ですね。

この言葉を胸に、「念念従心起。念念不離心。」「歩々直入。」、瑜伽精進したいと思います。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。 合掌

番場裕之直筆サイン合成2018
※今回の題字も去年に行き続き、先代瑜祗雄弘 番場一雄師のものを使用し,更に思想的継承を意味づけるべく、佐保田鶴治祖師のものも引用致しました。

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